「アジア平和文化フェスティバルin沖縄」に参加して

12月 26, 2012 · Posted in 投稿 

三江大学外国語学院 曽 田 和 子DSCN3339

二〇一二年三月に「中国民間・アジア平和、文化交流の会」が発足した。

「民間レベルでの戦争への反省を促進し、加害国と被害国の間の交流そして和解をすすめます。戦争と暴力に対する深い反省に立って、恒久平和の構築をめざします。寛容、正義、光明を呼びかけて、未来への展望を開きます。私たちはアジア・太平洋地域の公民として、共同生存を追及し、過去を直視する立場でこそ、平和で且つ美しい未来を追求するのを旨に、地域を超え、国を超えた様な交流に、例えば平和の旅を企画や学習会やシンポジウム、講演会、討論会などに協力をお手助けをする「会」にさせて頂きたいと思います。」

これは、この組織の紹介文である。日本人向けに「会」の紹介を中国人スタッフが作成した文章である。すでに韓国、日本にできているもので、中国がやっと立ち上げたもの。南京民間抗日戦争博物館長の呉先斌さんが中国代表である。

この「アジア平和、文化交流の会」が今年は十一月に沖縄で「アジア平和文化フェスティバルin沖縄」をやるというので、呉館長や事務局の曹陽さん、湯福啓さんたちと沖縄へ行った。沖縄勢八十人とあわせても総勢百五十人という小さなフェスタではあった。「アジアから見た沖縄・沖縄から見たアジア」というテーマのシンポは、海外代表として、スリランカのベナット・クレー氏(在フィリピン・スリランカ大使)、韓国の朴賢緒氏(韓国漢陽大学校名誉教授)、中国の呉先斌館長、フィリピンのアナリサ・ゴブリンさん(音楽家、フィリピン「女性の自由」連合の青年リーダー)が参加。日本側は井川一久氏(元朝日新聞那覇・プノンペン・サイゴン・ハノイ各支局長)、我部政明氏(政治学者、琉球大学法文学部教授)であった。この時期の中国からの参加は勇気ある行為と、大変歓迎された。

予定していた帰りの那覇―上海便は客が少ないせいか飛ばないという連絡が入り、一日延ばすことになったので、この会がオプショナルコースとして準備していた宮古島へ中国勢は急きょ参加。那覇から三十五分の飛行である。宮古島市役所には「海抜十七メートル、地震があったら高い所へ」という案内があった。島は全体が低地で山らしいものはない。ちょっとした丘のような野原岳くらいなもの。日本軍はこの島を航空母艦に見立て、滑走路を三本作った。特攻艇秘匿壕跡、ビンフ嶺野戦重火砲壕跡などを見学。高沢義人の歌碑「補充兵われも飢えつつ餓死兵の骸焼きし宮古(しま)よ八月は地獄」は野原岳に二〇〇五年八月十五日に建てられた。

そして慰安所が十六か所。一九四四年頃から約三万の将兵の相手として朝鮮慰安婦が配備された。「戦場の宮古島と『慰安所』」(なんよう文庫発行)には証言者の声が採録されている。「あのあたり」と案内された数か所の慰安所跡は、蒲に似た植物が生い茂っているばかりであった。

ところで、南京にも日軍の慰安所遺址がある。呉館長の話では、かつて南京にも二十か所はあったという。現存する、代表的な利済巷の慰安所遺址を、学生や夫と見学に行った。ゴミ捨て場と化したそれは、見るも無残なありさまであった。これを負の遺産として残すことは困難な状況らしい。しかし、十一月下旬、白下区は、利済巷の慰安所遺址を記念館として残すことを決定したということだ。

因みに、二〇一三年三月に、「中国民間・アジア平和、文化交流の会」は一周年の記念集会を南京で開催する予定である。

 

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